2012年4月23日月曜日

長期滞在することでわかったこと

4月6日~19日の2週間長期滞在の報告をさせていただきます。

未だに毎日のように地震が続く現地では、
瓦礫は分別されて、建築木材は枯れて粉になっていました。

町では電信柱が立ち信号が復旧していました。

漁港では、養殖のわかめやめかぶが回復しつつあります。
海藻類の加工場が建設途中です。

住宅地は未だに更地の状態です。

そんな中、町中にボランティアを受け入れてくれる方と繋がり、
約10日間一緒に生活をさせていただきました。

当時の状況を知り、どう生き延びたか、これからどうしていけばいいのか、
町の人達の深刻な状況を教えてもらいました。

とにかく仕事がなく、できたとしても滞在できる場所がない。
それが復興を更に遅れさせていると仰っています。
昔の復興は瓦礫を集めてたった1年で小屋を町の人達総出で作り上げたらしいです。

震災前から町として独立しなくなってしまった状況が、
震災後に更に市役所に頼る形になってしまったのです。

「とにかく手を動かしていたい」
「何かをしていないと津波のことを思い出すから」

町に家が残って住んでいる方は目の前の状況をとにかく変えたい。
家がなくなり、仮設に住んでいる方は町に行くのを拒んでいます。
しかし、いつまでも仮設に住んでいられないとも仰っています。

どちらの方も「何かしないと」と考えています。

その何かをするためには、人が集まって話ができる場が必要です。

その場がとても楽しくやりがいのあるものであれば、
前向きになることを身を持って教えていただきました。

最初の1週間は津波の話を色々と聞かせていただきました。
ときに涙する人もいて、当事者でない僕もグッと来てしまうこともありました。

常に皆さんといるときは"前向きに"を心にずっと接してきました。
技術も進歩してもらいたくて、できるまで何度もやり直しさせました。
できなかったことができるようになったときに、一緒にハンモックを作っている皆さんが、
「よかったわねー!!!」とできるようになった方に声をかけて下さいました。

当たり前のことかもしれませんがそれがとても重要だと気づきました。

仮設の最終日ではある方に「津波があったから先生と会えたんだ」と前向きな言葉をいただきました。
町の最終日には、仮設の方がわざわざ町まで降りてきて、もっと作りたい意思を行動にしました。

離れ離れになってしまった町のコミュニティーが戻り、
また何かを町の人達が一体になって行動するためには、
まだまだ解決しなければいけないことがたくさんあります。

常に前向きに行動し続けることが、
どんな完璧な計画よりも大切なことだと感じました。

今後のことはまた改めてお伝え致します。

山本 忠道

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